Yuichi Murata's Engineering Blog

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罪と罰、半沢直樹とマズローで読み解く、誰のために仕事をするのかという話

ありがたいことに、ここ10日間ほとまとまった夏休みを頂いています。こんなに長い休みを取ったのはハネムーン以来です。最近は仕事ばかりで家族との時間を全然取れていませんでした。この休みに家族、何より娘と過ごす時間をしっかり取れたのが何より幸せに思っています。


家族との時間を楽しむ一方、夏休みの宿題にいくつか取り組んでいます。そのうちの一つが「文学作品を読む」こと。懐かしの読書感想文であります。普段は実用書ばかりなのですがたまには文学作品を読んでみようと思いました。今後、技術屋ではなく組織を創る人間として、基礎教養をつけ、組織運営に活かしていきたいと思ったからです。


背伸びをしてドストエフスキーの「罪と罰」を読んでみました。普段は文学作品なんか読まないくせに、古典。しかもロシア文学。はっきり言って読むのがとても大変でした。まず人名からして覚えられない。
YouTube解説から漫画で読破シリーズまで総動員してなんとか読み切りました。


不朽の名作というのは奥深いものです。読み終わって色々な思考を巡らすうちに自分の生き方、仕事への向かい方を考えるようになりました。


罪と罰


罪と罰は、サンクトペテルブルクに住む元学生が狂信的な思考に囚われ、金貸しの婆さんを殺してしまい罪の意識に苦しみ続けるという物語です。


この学生、ラスコーリニコフは「世の中には凡人と非凡人がいる。非凡人は法律や倫理といったルールを踏み越えても構わない。なぜなら、そうした非凡人が既存のルールを無視して作る新たなルールが人類にさらなる幸福をもたらすからだ」という尤もらしい過激な思想を持っていました。そして、足下をみて不利な条件をふっかけてくる意地悪な金貸しの婆さんを「なんの価値もないシラミ」と考え、殺してしまいます。この婆さんを殺して借金を踏み倒せば自分は再び大学に通うことが出来るし、故郷の家族に心配をかけずに住む。大学を出てまともな仕事につけば、その方がよっぽど世の中の為にもなるのだから、むしろ「自分はこの婆さんを殺すべきだ」とすら考えるのです。


尤もらしい理屈をこねていますが、その裏には「自分は非凡人であることを証明したい」という欲求が見え隠れします。つまり世の中のためと言いつつ、自己の証明のために殺しを働いてしまうのです。結果、婆さんだけでなく、その現場を偶然目撃してしまった婆さんの妹までをも、殺してしまいます。無垢な人間をも殺してしまい、殺しの容疑者として追い詰められていくうちに、罪の意識に苦しめられていくのです。


罪から人を救うのは何か


くすぐったい言い方をするなら、最終的に主人公は「愛」に救われます。ラスコーリニコフは酒場で、自分の娘を娼婦として売り飛ばして酒に逃げる元役人のダメ親父と知り合います。このダメ親父がある日、馬車に轢かれて死んでしまう (たぶん飛び込み自殺) のですが、不憫に思った彼はその家族に葬儀代を寄付します。


それがきっかけとなって、娼婦として働いていたダメ親父の娘ソーニャと知り合います。お互いの心の内を深く理解し合ううちに、互いに同情するようになり、ついにはラスコーリニコフは自分の罪を告白するのです。


ラスコーリニコフは自らが非凡人であることを証明するために罪を背負いました。そして、ダメ親父とその家族のために寄付をし、それがきっかけとなって救いを得るのです。

 


半沢直樹のモットー


さて話は急に変わって、大人気のドラマ半沢直樹です。最後のどんでん返し、正義が悪を断罪する分かりやすいシナリオもそうですが主人公である半沢直樹のまっすぐな仕事への向かい方が多くのひとの共感を読んでいるのではないかとも思います。


直近のお話でこんなフレーズがありました。

(組織がダメになるのは) 自分のためだけに仕事をしているからだ。仕事は客のためにするもんだ。ひいては世の中のためにする。その大原則を忘れたとき、人は自分のためだけに仕事をするようになる。

このフレーズには思い当たるところのある方も多かったのではないでしょうか。


人はヒトのために働く


この二つの物語が示唆するのはつまり「自分のために何かをなすのではなく、ヒトのために何かをなせ」という事なのではないかと思います。ヒトのために何かをなそうとする限り、人は道を踏み外さないものだし、自然と救われる。これが道理という事なのではないかと思います。


翻ってビジネスは結局「顧客主義」な訳ですが、人というのは油断するとすぐにこれを忘れてしまいがちです。気がつけば自分の「思い」で仕事を決めてしまう。そもそも何のために、誰のために仕事をしているのか忘れてしまう。


そうした姿勢が硬直化してしまうとどんどんダメな仕事、ダメな組織になってしまうとう事なのではないかと思います。


マズロー自己実現はクソくらえなのか?


有名なマズローのピラミッドは「自己実現」となっています。人間の欲求のトップにたつ自己実現はクソくらえという事なのでしょうか。


マズローは、実はこの答えにつながるヒントを我々に残しています。五段階のピラミッドの頂点である自己実現者には、実は二つのレベルがあるというのです。自己実現者の中で、さらに大きな成功をしている人はなぜか「世界のため、世の中のため」と言った高尚な使命に取り組む自己の実現に走ると述べています。ボロボロになった地球から人類を救うために本気になってロケット開発をしたり電気自動車を作るイーロンマスクや、貧困地域の子供達を救うために財団を作っているビルゲイツなどを見ていると、この指摘には一理あるように思います。


結局のところ人はヒトのために働いた時、本当に成功することができるし救われるということなのではないかと思うのです。マズロー自己実現も「世のため人のために働く自己を実現する」ことが最高の欲求であると述べているのです。


長々とポエムを書いてしまいました。
技術に携わるものとしてついついのめり込んで仕事をしてしまいます。こうした機会に冷静に振り返って、誰のためにいまの仕事をしているのか改めて考えてみることが大事なのではないかと思います。